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お花見の起源、由来、歴史とは?なぜ桜なの?!

お花見

お花見というと桜の季節となりますが。

お花見と桜の関係っていつから始まったのでしょうか?

お花見の起源を知ってもっとお花見を楽しみませんか?

1年の中で、桜以外の花を見ることもありますが、梅だったら「梅見」、菊だったら「菊見」というように、花の名前を付けて呼んでいますよね。

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でも、桜は不思議なことに「花見」なのです。

それでは、お花見の起源をまとめてみますね。

お花見の起源は?

お花見そのものは奈良時代に、すでに行われていたんですね。


でも、現代のように「お花見」を桜の鑑賞ではなく、奈良時代には「梅」だったんです。

面白いですね。

桜を花見の対象としたのは平安時代のことだったんです。

その理由は文献で証明されています。

万葉集の時代までに詠まれた歌における「花」は梅なんです!!
古今和歌集以降のものに出てくる「花」は桜なんですね!!

事実、万葉集において梅を題材にした歌は110首、桜を題材にした歌は43首と梅が桜の3倍弱あるんです。

桜は日本古来の花ですが、梅は奈良時代に中国から遣唐使によって伝わったことから、梅と桜の原産地の違いがポイントです。

遣唐使が廃止されることで、「花」は桜のことを指すようになったんですね。

奈良時代の梅を見るお花見というのは、花の美しさを楽しむというよりも神事としての意味合いが強くて、いわば、厄払いのために行っていたのであまり楽しむものではなかったんですね。

平安時代になり、花が「桜」のことを指すようになってから状況が変わっていきます。

平安時代の「日本後紀」では、嵯峨天皇が812年に行われた「花宴の節」というものが桜によるお花見の起源とされています。
桜のお花見の記述として最古のものなんですね。

嵯峨天皇は地主神社に毎年桜を献上させるほど、大の桜好きだったんです。

そして813年からはこの桜の花見が天皇の恒例行事となり、「源氏物語」においても桜のお花見の描写があるんです。

でも、平安時代の花見は、今のようにお酒を飲んでどんちゃん騒ぎ?!ではなく、詩を詠んで楽しんでいました。

詩を詠むのは貴族の世界であって、まだ武士の世界には広がっていませんでした。

鎌倉時代くらいから武士も「花見」をするようになりました。

表向きは貴族と武士は敵対しているイメージのほうが強いですが、武士も貴族に憧れていたから「花見」を真似したと考えたほうが自然のようです。

でも、想像がつくと思いますが、貴族は優雅な「花見」に対し、武士は、どんちゃん騒ぎの「花見」になっていたようです。
憧れと言っても、武士の世界に取り込まれるとすべて真似するわけではないようです(苦笑)

有名なのは、安土桃山時代に、豊臣秀吉が1594年に「吉野の花見」という大規模なお花見が開催されたことです。

これは1,000本の桜を植え、5,000人を集めて、しかも、徳川家康、前田利家、伊達政宗などの有力な武将も招いてコスプレ祭りをするというバカ騒ぎで、庶民の耳にも行き届くほど盛大なものでした。

さらに数年後の1598年には「醍醐の花見」が開かれ、こちらも壮大に行われて、この時代から花見が宴会行事として定着していったんですね。

江戸時代、8代将軍徳川吉宗は1720年に大規模な桜の植樹を行い、庶民でも花見が楽しめるようになり、かくしてお花見は酒を飲みながらのどんちゃん騒ぎと化していったのです。

なぜ、花見を桜がつながったのか?

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諸説があるのですが、有名なのがこれ!!

奈良時代には梅が人気であったものの、桜に全く興味がなかったというわけではありません。
先に話したように、桜は日本古来の花なわけですから、昔から桜には神が宿ると考えられておりました。

「サクラ」の語源として言われている一つの説に、山や田の神様「サ神」と神が鎮まる座の意味「クラ」という言葉を足して、サ神が鎮座する木ということで「サクラ」と呼ぶようになった説があります。

桜が咲くということは、「田の神様が山から降りてきた証拠」であると考え、桜の開花を目印に田植えを開始するということをしていました。

花見の起源と桜の関係のまとめ

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日本人の考える花見はとても深い話でした。

まさか、桜と神様の関係があったとは・・・

花見1つとっても積み重ねられた歴史って奥が深いものですね!!

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