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神田祭の意外な歴史とお祭りを楽しむ方法を暴露!

お祭り

神田祭は、時代によって変化の絶えない、すごいお祭りです。

今のお祭りを見ても、参加しても、楽しい時間と感動の時間になること請け合いです。

神田祭は今の場所と違っていることをご存知ですか?

神田祭の歴史を紐解き、もっと神田祭を楽しむ情報をお伝えします。

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神田祭であなたが心躍る時間となればうれしいです!!

神田祭の始まりは?!歴史は?!

神田祭は、2015(平成27)年に還座400年を迎えた神田神社の祭礼です。

神社同様、その祭りも歴史あるものではありますが、起源は定かではありません。


神田神社は、730(天平2)年に創建され、祭の始まりも同時期と考えられています。

当時の神田神社は、現在の千代田区大手町(将門塚周辺)にあり、その土地(当時の柴崎村)の鎮守(ちんじゅ)でした。
※鎮守:鎮守神または、その神様を祀った神社のこと

古い文献(落穂集)の記述によると、毎年9月に行われていた祭礼は、秋の収穫祭のようなものだったようです。

1600(慶弔5)年のこと。

徳川家康が、会津討伐そして、関ケ原の戦いへ臨む際に、神田神社において戦勝の祈祷を行いました。

関ケ原の戦いは、1600(慶長5)年9月15日、開戦後、わずか半日で徳川軍が勝利を挙げた戦いです。

徳川家康が天下統一を成し遂げたこの日は、神田神社の祭礼日(神田祭の日)でもありました。

このことから、神田祭は縁起のいい祭礼とされ、以後絶やすことの無いようにと、命じられたのです。

その後、神田祭は、江戸城内に神輿が入ることの出来る江戸幕府公認の祭となり、天下祭と呼ばれるようになります。

それから現在に至るまで、様々な困難を乗り越えつつ受け継がれ、今もなお、華やかな祭りが繰り広げられています。

神田神社の場所ですが、江戸城築城の際(1603(慶弔8)年)に、徳川家康によって、神田山(現在の駿河台鈴木町)に移されます。

1616(元和2)年には、徳川秀忠が現在地へ移し江戸総鎮守としたことで、幕府だけでなく、庶民からも深い信仰をうけるようになりました。

でも、神田祭は、時代の移り変わりとともにその形も変わってきました。

■江戸時代以前の神田祭

古い時代の祭礼は、船渡御のかたちで、毎年行われていました。

このことは、1892(明治25)年発刊の「神田神社由緒畧記」から解ります。
※畧:現代表記では「略」

「9月の祭禮古い昔ハ船祭なり元和年中より陸路のみの渡御となり延寶の頃までハ毎年なりしを天和年間より隔年となれり」と書かれています。

■江戸時代の神田祭

祭礼が、船渡御から陸路のみの渡御に変わったのは、1616(元和2)年のことです。

当時は、現在のような神輿渡御ではなく、山車行列が中心となっていました。

36本(37本前後とも)もの華麗な山車が行列をなし、しずしずと、江戸の町を巡行したのです。

神社の神輿は、山車の間に挟まれて巡行していました。

1681(天和元)年より、毎年行われていた祭礼が、2年に1度に変わりました。

本祭りが山王祭と交互に行われるという形は、この時から現在まで受け継がれています。
※ただし、1869(明治2)年~1872(明治5)年は毎年行われていました。

そして、1755(宝暦5)年には、江戸時代の神田祭で最も人気のあった附け祭(つけまつり)が行列に加わります。

■明治時代の神田祭

明治時代になると、山車の数が次第に減少していきます。

1872(明治2)年には35本だったものが、1880(明治13)年には14本となっています。

そんな中、1884(明治17)年には46本、1887(明治20)年には40本と、江戸時代に負けない盛大な祭礼が行われた年もありました。

ところが、近代化の波は、神田祭にも変化をもたらします。

1875(明治5)年には、錦蓋翳4本・五色旗などの装飾が加えられ、1879(明治9)年になると馬車が導入されます。

また、山車は、1889(明治22)年を境に各氏子町内に備え付けられるのみとなっていきました。

大きな原因は、あちらこちらに張り巡らされた電線にあります。

電柱の高さは5~6mですが、山車は7~8m程あったため、運行する事が困難になってしまったというわけです。

そんな中、祭礼は、山車行列から神輿のみの渡御へと移り変わっていきます。

神輿が細い路地までも巡行するようになると、祭礼の日程は2日間になり、3日間、4日間と次第に増えていきました。

1892(明治25)年、神田祭の斎行は、現在と同じ5月に変更されます。

それまで斎行されていた9月は、台風の時期であることや疫病の流行しやすい時期であることから、そういった影響を受けにくい5月に変更されたということです。

実は、神田祭は、1884(明治17)年の台風(将門台風)の際に中止されています。
1890(明治23)年~1891(明治24)年に起きたコレラの大流行も、ひとつのきっかけになったようです。

この頃になると、どことなく「戦争」が気になるところですが、明治時代では、1904(明治37)年の祭礼が、日露戦争の影響で延期になっています。

■大正時代~昭和(戦前)の神田祭

大正時代になると、山車は姿を消し、祭の名称も神輿渡御祭と変更されます。

神輿渡御祭は、氏子町内を神輿がくまなく渡御する祭でした。

もちろん1日では回り切れませんから、数日に渡って行われていました。

長い時だと、1週間もかけていたそうです。

各氏子町会が、競い合うようにして神輿を作ったのもこの時期になります。

そして、1923(大正12)年9月、日本の災害史に名を遺す、関東大震災が起こります。

これによって、神田神社の社殿や神輿、保存されていた山車のほとんどが焼失してしまいました。

その後の神田祭は延期されていましたが、1926(昭和元)年に鳳輦(ほうれん)が新調され復活します。

鳳輦は、神田神社の神輿です。

1934(昭和9)年には、二の宮御輿の復活もありました。

1941(昭和16)年に太平洋戦争が勃発すると、神田祭は、1942(昭和17)年を最後に、終戦を迎えるまでの間は中止されています。

戦前最後といわれる、1942(昭和17)年の神田祭では、鳳輦を牛が曳く形が取られました。

■昭和(戦後)~平成の神田祭

終戦を迎えた後、初めて神田祭が行われたのは1952(昭和27)年になります。

この時は、一の宮鳳輦が復活し、3日間に渡る神輿渡御祭が行われました。

氏子町会神輿の連合宮入が、初めて斎行された記念すべき祭でもあります。

1954(昭和29)年には、神輿渡御祭から神幸祭へと名称が変更されました。

日本が高度経済成長期に入り、自動車が普及してくると、神幸祭の日程や日数も変わっていきます。

日程は、5月中旬から5月2、3日へ、日数も1968(昭和43)年より2日間とされ、1977(昭和52)年より1日間となりました。

この頃から、神輿や山車も徐々に復活していきます。

1975(昭和50)年:二の宮御輿が行列に加わる
1986(昭和58)年:獅子頭山車が復活
1987(昭和62)年:三の宮御輿が新調され、行列に加わる
1990(平成2)年:諌鼓山車が復活
という具合です。

二の宮御輿は、1973(昭和48)年に三越より奉納されましたが、翌1974(昭和49)年の神田祭が中止になり、1975(昭和50)年に行われたためこの年が初渡御となりました。

さらに、2001(平成13)年には、江戸時代に人気を博した附け祭が復活!

これによって、江戸時代に人気のあった曳き物も復元されていきます。
2005(平成17)年に「大鯰と要石」が約250年振りに復元、2007(平成19)年には「酒呑童子」を題材とした「大江山凱陣」が約170年振りに復元されています。

2003(平成15)年の、江戸開幕四百年記念大祭では、船渡御が復活しました。

翌2004(平成16)年以降は、陰祭の年であっても、毎回、大御輿の渡御が行われるようになっています。
陰祭(かげまつり):神幸祭と神輿宮入が行われない年の祭を陰祭と呼んでいます。

不況や災害、さらには戦争をも乗り越えて、今もなお壮大な時代絵巻が繰り広げられる神田祭。

古き良きものを復元してきただけでなく、時代と共に、形を変え、新しい文化を受け入れてきた祭ということができるのではないでしょうか。

2015(平成27)年には、神田神社還座400年を記念して、これまで以上に盛大な神田祭が行われました。

附け祭では、浦島太郎の曳き物が新たに復元されたり、天下祭の流れを組む三熊野神社の祭り山車が特別参加で華を添えました。

大行列となった附け祭には、サンバチームが参加していたり、氏子町のボーイスカウトや消防少年団、交通少年団を含む子供たちも大勢参加!

江戸っ子「みこしー」も、祭りデビューを飾りました。
江戸っ子「みこしー」は、神田神社還座400年を記念して作られた神田明神のマスコットキャラクターです。

さらに、祭りの様子をインターネットで生中継したり、ラブライブとのコラボグッズを販売も行われました!!

時代とうまく向き合いよい方向に変化している祭は、あまり見たことがありません。

神田祭はいつ?!

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神田祭、2018年の日程は、偶数年と奇数年とで違いがあります。

神田祭の本祭は二年に一度(西暦の奇数年)の開催です。

今年2018年は偶数年。

奇数年に開催される本祭に対して、偶数年開催の年は陰祭と言われています。

よって、2018年は神田祭の本祭はありません。

しかし、5月15日の「例大祭」は毎年行われるため、2018年も陰祭の祭事として開催されます。

※「例大祭」は毎年開催されますが、この日が日曜日だった場合などは別の日に変更となります。

尚、本祭のある年では、その前の土日に「神幸祭」と「神輿宮入」が行われます。

今年は陰祭で祭りの規模は小さくなりますが、そこは長い伝統のある例大祭。多くの人出が予想されますね。

2018年の神田祭(陰祭)の日程ですが、先回の陰祭2016年のスケジュールから次の日程が予想されます。

2018年の神田祭(陰祭)のスケジュール(予想ですよ!)

2018年
5月14日(月)
11時~ 献茶祭(表千家家元奉仕)
18時~ 明神能・幽玄の花(金剛流薪能)

5月15日(火)
14時~ 例大祭
ちなみに本祭が行われた昨年2017年は以下の日程で行われました。

参考)昨年(2017年)の神田祭(本祭)のスケジュール

2017年
5月11日
19時 鳳輦神輿遷座祭

5月12日
夕刻 氏子町会神輿神霊入れ

5月13日
終日 神幸祭(神田、日本橋、大手・丸の内、秋葉原巡行)
15時 附け祭
16時30分 神輿宮入

5月14日
終日

5月15日
18時 明神能・幽玄の花(金剛流薪能)

5月16日
11時 献茶祭(表千家家元奉仕)

5月17日
14時 例大祭

神田祭のみどころって?!

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神田祭りの気になる見どころをまとめていきます。

付いて来てくださいね(笑)

※注意点、これからは本祭の年(奇数年)を基準に書いています。
陰祭の年(偶数年)には、献茶式・明神能・幽玄の花、例大祭以外は開催されません

鳳輦・神輿遷座祭と神霊入れ

※ここは、本祭(奇数年)の時の内容になります。
神田祭は、「鳳輦(ほうれん)」と、神輿に神様にお入り頂く、

「遷座祭(せんざさい)」、「神霊入れ(みたまいれ)」から始まります。そして。

初日には「遷座祭」、2日目には「氏子町会神輿神霊入れ」が行われます。

ちなみに鳳輦とは、神輿の頂点に鳳凰の飾りがあるもので、元は天子が乗る牛車の事を指しました。

神幸祭(しんこうさい)
※ここは、本祭(奇数年)の時の内容になります。
3日目に行われる「神幸祭」は、神田祭最大の見所です。
平安時代の衣装をまとった神社の方々が、鳳輦と神輿と共に終日神田周辺を廻ります。

コースの予定はこちら。

神田明神(8時出発)
大手町、将門公の首塚(10時半頃)
明治座前(14時半頃)
日本橋三越前(16時半頃)
秋葉原周辺(17時半頃)
神田明神(19時頃)
この内、大手町と日本橋前は毎回必ず立ち寄るコースですので、見物するなら押さえたいポイントですね。

神輿宮入(みこしみやいり)
※ここは、本祭(奇数年)の時の内容になります。
3日目の16時30分からと、4日目は、各町内会の持つお神輿が一斉に神社を参拝するために集結します。

前日の神幸祭が優雅なら、こちらの神輿宮入は熱気が弾けんばかり。
宮入り後は神輿が街へと繰り出し、威勢のよい掛け声が神田中に響き渡る様子は、粋そのものです。

献茶式・明神能・幽玄の花

神幸祭と宮入が「動」の象徴ならば、祭りの後半に行われる献茶式や能の奉納は、「静」の象徴です。

5月14日に行われる能の奉納は「薪能」という夜に行われる能で、炎に照らされる様子は幽玄の世界に誘われます。

同じく、5月14日に行われる献茶式は表千家の家元自らが古式に法ってお茶を建てる儀式で、貴重な光景が見られます。

どちらもチケットが必要で事前予約もすぐ売り切れる為、入手出来なかった場合は当日券を狙いましょう。

例大祭

最終日の5月15日は神田明神の例大祭となります。

盛り上がりの点で神幸祭などに譲りますが、神社での祈願や巫女の奉納舞、神楽などが催されます。

賑やかな祭りも良いですが、伝統的な落ち着いた風情を楽しみたいのなら、ぜひおすすめですよ。

■アクセスと交通規制情報について

公共交通機関でのアクセス
JRでのお越しなら、山の手線・秋葉原駅を電気街口側で下車し、7分ほど歩くと神田明神に到着します。

また、中央線の御茶ノ水駅を聖橋口側で下車し、5分ほど歩くルートもあります。

地下鉄の場合ですと、東京メトロを利用することになります。

丸ノ内線・御茶ノ水駅を聖橋口で下車して徒歩5分
千代田線・新御茶ノ水駅を聖橋口で下車して徒歩5分
銀座線・末広町駅より徒歩5分
日比谷線・秋葉原駅より徒歩7分
いずれの駅を利用しても同じ程度歩きますので、自分が利用しやすいルートを使うとよいでしょう。

交通規制について
本祭のある年(奇数年)では、神幸祭のルートにもよりますが、交通規制が敷かれるので注意が必要です。

特に、秋葉原駅周辺や日本橋の三越前などは、毎回行列が通過する時間帯は交通規制が敷かれます。
神幸祭、神輿宮入が行われる日は、神田・秋葉原・日本橋は車両は通れないと考えたほうがいいですね。

尚、陰祭のある年(偶数年)では、神幸祭、神輿宮入が行われないこともあり、交通規制は小規模なものになります。

伝統と革新の交じる祭は、神田明神の正面で行われます。

400年以上の伝統を今に伝える神田祭は、秋葉原が近いためか意外と柔軟なお祭りです。

長い伝統を今に伝え、粋な神輿が街を練り歩く一方で、神社のお守りには「萌えキャラ」が。
そのギャップを受け止める柔軟さこそが、東京という街を長く見守ってきた神田明神の魅力なのかも。

日によって祭が見せる顔が違う所も、神田祭の魅力の一つです。
出来れば全ての日を見て、神田祭を堪能したいですね。

神田祭のまとめ

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神田祭は2年単位で違った見せ方をする祭りです。

逆に言えば、祭りの内容でその年が奇数なのか偶数なのかわかっちゃうのが面白いですね。

神田祭は、思いのほか盛り上がるので見る人も、参加する人も充実したお祭りを体感できるでしょう!!

一生に一度はあなたの目で見るのが良い経験になるでしょう!!

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