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柏手は神様への合図。「二礼二拍手」ではなく「三礼三拍手」を試して気づいた、心の整え方

神棚
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毎日、目の前のタスクに追われていると、ふと「何かにすがりたい」と思う瞬間があります。
かといって、本格的な神棚を祀るほどの余裕はないし、熱心な信仰があるわけでもない。

そんな私が最近、暮らしの中でなんとなく取り入れているのが、朝の「柏手(かしわで)」です。
きっかけは、「柏手は神様への合図だ」という言葉を耳にしたこと。
そして何より、「ずっと正解だと思っていた回数が、実は違うかもしれない」という面白い話を知ったことでした。

今日は、私が試してみた「三礼三拍手一礼」という少し変わった作法と、そこから感じた日常の小さな変化について綴ります。

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柏手を打つ音は、誰への合図なのか

そもそも柏手には、「神様に自分が来たことを知らせる合図」や「邪気を払う」という意味があるそうです。
スピリチュアルなことは詳しくありませんが、この「合図」という響きが、忙しい私の心に妙にフィットしました。

朝、窓を開けて空気を入れ替え、パンと手を打つ。
それは遠い神様への挨拶であると同時に、「さあ、ここから私の一日が始まるぞ」という、自分自身の脳への合図(スイッチ)のように感じられたからです。

音が鳴った瞬間、頭の中を埋め尽くしていた「今日の予定」や「昨日のモヤモヤ」が、一瞬だけ強制停止する。
その静寂が心地よくて、我流で続けていました。

「二回」が当たり前だと思っていたけれど

神社に行けば「二礼二拍手一礼」。
これが常識で、それ以外考えたこともありませんでした。
ですが、ある時ふと目にした情報で、その思い込みが少し揺らぎました。

古来の作法「三礼三拍手一礼」との出会い

どうやら、私たちが普段行っている「2回」の柏手以外に、古来より伝わる「3回」叩く作法が存在するようなのです。
「え、3回? リズムが悪くない?」
最初はそう思いましたが、読み進めるうちに、その背景にある深い意味や歴史に引き込まれました。

この作法について非常に詳しく解説されている記事がありますので、興味がある方はぜひ読んでみてください。
私が「へぇ!」と膝を打った発見が、ここに詰まっています。

▼私が視点を変えるきっかけになった記事
神棚の柏手は「2回」ではない?古来の正解「三礼三拍手一礼」と参拝作法の完全バイブル

実際に「三回」に変えてみて感じたこと

「形から入るのも悪くないな」と思い、翌朝から早速、いつもの二拍手を三拍手に変えてみました。
たった一回増えるだけ。
でも、やってみると不思議な感覚の違いがありました。

1. 動作が「丁寧」にならざるを得ない

二回だと「パンパン、終わり」と流れ作業になりがちでした。
でも三回叩こうとすると、リズムを取るために意識を集中させる必要があります。
「パン、パン、パン」
この一瞬の間(ま)が、動作を自然と丁寧にさせてくれました。

2. 余韻が長く残る

回数が増えた分、空気に音が響いている時間がわずかに長くなります。
その分、自分の中に生まれる「静寂」も深くなるような気がしました。
神様への合図がより強く届くかどうかは分かりませんが、自分への合図としては、より「しっかりと」届く感覚です。

回数そのものより大切な気づき

結局のところ、2回が正しいのか、3回が正しいのか、私には判断できません。
ただ、この体験を通して感じたのは、「当たり前だと思っていたことを、少し変えてみる面白さ」です。

静かな朝のリビングとコーヒー

毎日同じ手順で家事をして、同じ道を通って仕事に行く。
そんなルーティンの中に、「今日は3回にしてみようかな」という小さな選択肢が生まれる。
それだけで、少しだけ心に「遊び」や「余裕」ができる気がします。

まとめ|自分だけのスイッチを持とう

柏手は、神様への合図。
そして、慌ただしい日常から「私」を取り戻すためのスイッチです。

もし、最近なんとなく心が晴れないなと感じているなら、朝の空気に柏手を打ってみてはいかがでしょうか。
その時は、いつもの2回ではなく、古来の3回を試してみるのもいいかもしれません。

もちろん、合わなければやめてもいいし、回数にこだわりすぎる必要もありません。
大切なのは、ほんの数秒でも「自分のために手を合わせる時間」を持てた、という事実だけだと思うのです。

関連記事:神棚の柏手は「2回」ではない?古来の正解「三礼三拍手一礼」と参拝作法の完全バイブル

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