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なぜ、神棚の下に写真を置いてはいけないのか?単なるマナーで終わらせない、神道が教える世界の仕組み

神棚
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「ダメなのは知っている。でも、なぜ?」その知的好奇心、素晴らしいです。

「神棚の下に、人の写真を飾るのは避けるべきだ」…この作法を知っている方は、少なくないでしょう。しかし、多くの人が「そういうものだから」と、そこで思考を止めてしまうのが現実です。

そんな中、「でも、それは一体なぜなんだ?」という純粋な問いを持つあなたのその探求心に、私はまず、心からの敬意を表したいと思います。

「神様を見下す形になるから失礼」…確かに、それも一つの答えです。しかし、正直に告白しますと、それは巨大な氷山の一角、水面に現れたほんの先端に過ぎません。

これから、あなたとその氷山の水面下…古代の日本人が見ていた「世界のカタチ」、その壮大な宇宙観へと迫る、知的な旅に出かけたいと思います。準備はよろしいでしょうか。

「敬意」の一言で片付けてはいけない、神道が描く三次元的な世界観

この謎を解く鍵は、日本古来の精神性の根幹をなす「神道」が、この世界をどのように捉えているかに隠されています。

天上(高天原)と地上(葦原中国) – 神道が描く「縦」の世界構造

『古事記』や『日本書紀』といった神話の世界では、神々が住まう世界は「高天原(たかまがはら)」と呼ばれ、常に我々が住む地上「葦原中国(あしはらのなかつくに)」の上にある、と描かれています。そう、神道の世界観は、極めて明確な「縦の階層構造」を持っているのです。

そして、家庭に祀る神棚は、この高天原から神様をお迎えするための、いわば「天へと繋がる窓」であり、神聖な出入り口。その神聖な窓の真下に「人」を配置するという行為は、この壮大な宇宙の秩序、世界のルールそのものを乱す行為に他ならない…というのが、この作法の本質的な理由の一つです。

「ケガレ」の概念 – なぜ下方は不浄とされやすいのか

もう一つ、重要な概念が「穢れ(ケガレ)」です。現代では「汚いこと」と誤解されがちですが、本来の語源は「気枯れ」…つまり、生命のエネルギー(気)が枯れた状態を指します。

死や病といった、生命エネルギーが失われる事象は、重力に引かれるように下方へと溜まりやすい、と古代の人々は考えました。だからこそ、最も清浄で、生命力に満ちた「気」が集まる場所である神棚の真下に、人の形(=いつかは死を迎える、生命の象徴)を置くことを避ける。これは、神聖な場所の清浄さを保つための、極めて合理的で、洗練された思想だったのです。

理解すれば怖くない。「敬意」をカタチにするための三つの心得

この世界の仕組みが理解できれば、作法はもはや「怖いルール」ではなく、世界と調和するための「美しい作法」へと変わります。

書斎で神道に関する古い書物を読み解き、何かに深く納得した表情を浮かべる40代の日本人男性

心得1:神域を「二次元の平面」ではなく「三次元の空間」で捉える

まず意識すべきは、神棚の棚板だけでなく、その上下の空間全体が、家の中に設けられた神聖な領域「神域(しんいき)」である、という認識です。この三次元的な空間認識を持つことが、全ての作法を正しく理解するための、絶対的な土台となります。

心得2:祀る対象を明確に分ける – 「神様」と「ご先祖様」の世界

神道の「神」と、仏教の世界観に基づく「祖霊(ご先祖様)」は、似ているようでいて、全く異なる世界の住人です。我々日本人は、この両方の世界を自然に敬ってきました。だからこそ、それぞれの住まい(神棚と仏壇・遺影の場所)をきちんと分けることが、両者に対する最大の敬意の表し方となるのです。

心得3:「ハレ」の空間と「ケ」の日常を意識する

神棚が非日常の神聖な「ハレ」の空間であるのに対し、家族の写真は、我々の日常である「ケ」の象徴です。この二つの世界をどう調和させ、共存させるか。もし、この宇宙観を理解した上で、日常の幸せの象徴である家族写真を飾りたい場合は、そのための具体的な方法論があります。

「ハレ」と「ケ」を調和させる具体的な方法

神域を尊重しつつ、家族の幸せな日常を神様にご報告するための、ポジティブな飾り方については、こちらの記事で詳しく解説しています。

神棚の近くに子供の写真、実は運気アップ?家族の笑顔が神様のご加護を引き寄せる、幸せな飾り方

知識を「実践」へ。神様との正しい向き合い方

この深遠な知識は、実践して初めて血肉となります。日常の作法に、その意味を見出していきましょう。

「雲」や「天」に込められた、古の日本人の宇宙観

マンションなどで、神棚の上に人が住む場合に天井に「雲」と貼る行為。これは単なる気休めのおまじないではありません。「ここより上は天であり、我々の住む俗世とは切り離された神聖な空間です」と、自らの意思で宣言し、神域の結界を張るという、極めて能動的で力強い作法なのです。

本物の「榊」を供える意味 – 神様の「依り代」としての植物

なぜ、神棚には榊(さかき)を供えるのでしょうか。榊は「栄える木」あるいは神様との「境の木」を語源とすると言われ、その青々と茂る生命力は、神様がこの世に降り立つ際のアンテナ、目印となる「依り代(よりしろ)」としての役割を果たします。この意味を理解した上で、生命力に満ちた本物の榊を供えるという行為が、いかに深く、本質的な祈りに繋がるか、お分かりいただけるかと思います。

国産本物の榊を詳しく見る

祝詞(のりと)を奏上する – 言霊で神域を整える

さらに深い領域に踏み込むなら、「祝詞(のりと)」があります。祝詞とは、単にお願い事をするための言葉ではありません。古来、言葉には世界を動かす力があると信じられてきました(言霊思想)。祝詞を奏上することは、その言霊の力で神域の気を整え、神様と我々のチャンネルを正確に合わせるための、極めて高度な神事なのです。

まとめ:「なぜ」を知れば、日々の作法が「祈り」に変わる

いかがでしたでしょうか。神棚の下に写真を置かない、という一つの作法の裏には、日本の神々が住まう「縦の世界構造」と、「清浄」を尊ぶ、壮大な宇宙観が広がっていました。

この「なぜ」を知った今、あなたにとって、神棚に手を合わせるという日々の行為は、もはや単なる習慣や作法ではないはずです。それは、宇宙の秩序と繋がり、神々と対話するための、意味深く、力強い「祈り」そのものへと昇華されたことでしょう。

あなたの知的好奇心は、作法を祈りへと変える、素晴らしい力だったのです。

さらに深淵なる「和の叡智」へ

もし、この記事で触れた神道の世界観や言霊の力に、あなたの魂が共鳴したのであれば、その知的好奇心をさらに満たすための、次なる学びの扉が存在します。古神道やカタカムナといった、さらに深淵な日本の叡智を探求してみてはいかがでしょうか。

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